いきあたりばったりな人生。きょうたのプロフィール

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きょうた
こんにちは!ミニマル投資家のきょうたです。

なぜミニマリストで投資家なのか?ミニマル投資家になるまでの僕の人生を記事にしてみました。

頑張って書いたので時間がある時に読んでいただけると嬉しいです。

 

ミニマル投資家きょうたの経歴

プロフィール

  • 名前:郷坪恭太(ごうつぼきょうた)/珍しいけど本名。
  • 生年月日:1990年11月30日生まれ
  • 出身:広島県
  • 出身校:山野美容専門学校
  • 卒業後:青山で2年美容師→4年ナイトクラブで働く→紹介でIT企業に就職→ブログ、投資で独立

 

小学校までは陰キャラで何不自由なく育った僕ですが中学の頃の親の離婚を機に人生が一転します。

親の離婚を機に勉強を一切しなくなりバンドにドはまりした高校生時代

バンドにはまる

中学までは部長になるくらいテニス三昧だったのですが、中学を一緒に受験した友達がギターをやっていて教えてもらえることがあり、モテたくてバンドをはじめます。

それまでは真面目なメガネ君の僕でしたが、カッコつけて髪を伸ばすは、制服着崩してイキるはで学校に行く意味を失います。

俗に言うグレたってやつですね( ´∀` )(笑)

バンドがなければ今でも昔の陰キャラのままだったかも。

 

高校卒業後は迷いもなく美容学校へ進学

当時バンドをしていたこともあって髪を触ったり、ファッションに興味があって「美容師」になりたいと思うように。

なぜ美容師かというと「アパレルだと資格がなくて困るかも・・・」「美容師なら資格あるし好きな格好して働けそう!」というかなり安易な考えからです。

あとサラリーマンの父がとても嫌いだったので

きょうた
オヤジと同じサラリーマンには死んでもならねぇっ

 

ていう反抗的な意味がありました。

ちなみにこの頃の「サラリーマンになりたくない」という考えが投資家になることに繋がっています。

美容学校の入学資格が高校卒以上だったので我慢して卒業したけど、そうじゃなかったら確実に退学してましたね。

 

カリスマ美容師を目指して上京

上京する田舎者

上京するなら「必ず原宿か青山で働く!」という田舎者まるだしな夢を抱きながら美容専門学校に入学。

卒業後は夢を叶えるために宣言通りに青山で美容師として働きました。

 

憧れの美容師は低給料で激務の日々

美容師

サロンに就職してからの日々はまさにこの世の地獄。

当時の美容師の世界はものすごく厳しい縦社会で「1年目は毎朝8時出勤の12時帰りが原則」


きょうた
就業規則がブラックってどんなやねん・・・

月の休みはシフトで6日となってはいるものの、休みの日は自分の練習モデルを探すため毎日渋谷や原宿で一日中立ちっぱなしでモデルさんを探します。

 

給料に含まれている交通費も「給料に宛てろ」と言われて自転車通勤は当たり前。

手取りの給料は11万円。

自転車で通える場所にしか住めないため当時は新宿に住んでいて家賃が高く給料の半分を家賃で持っていかれました。

 

また、カラー剤で汚れた服を着てくることは青山という土地柄許されなかったので服を自腹で買わなければいけません。

このころの食事はお金がなさすぎて基本的に「レッドブル一本かうまい棒を砕いて白米にかけて食べていました。」


きょうた
よく生きてたな・・・俺

 

無理をしすぎて救急車で運ばれる

20代前半はどれだけ仕事が忙しくてもまだまだ遊びたい年頃。

激務の中でも美容師の先輩に連れられて夜は寝ずにクラブで遊んでいました。

 

しかしそんな生活が長く続くはずもなくクラブの帰りに倒れて救急車で運ばれることに。

これを機に僕は「命よりも大切なものはないのではないか?」

と考えるようになりサロンをやめる事にします。


きょうた
正確には飛んだんだけどね

ちょうど就職してから一年がたつ頃でした。

 

お金がなさすぎて寝ずにクラブで働くことを選ぶ・・・

二店舗目のサロンスタッフもとても優しくて「続けられるかも!」と思ったけど無理でした。

理由はやはりどうやってもお金が足りないし副業をしようにも働く時間がない。

 

そこで僕が考えた最終手段は究極の選択でした。

寝ずに働くという選択

美容師の世界は職人職なので副業は禁止。

バレずに働くには「夜」しか道はなかった。

 

夜に働くとゆうことは自分の睡眠時間を犠牲にするしかないんですけど僕には生きるためにどしてもお金が必要だった。

週末だけお店を最後に出てそのまま朝まで学生時代の後輩が紹介してくれた六本木のダンスクラブで働くことにした。

 

寝ずに一番早く出勤してシャンプー台で髪を洗ってバレないようにはそのままサロンで働いた。

毎週末の睡眠時間は2時間。

 

夜の華やかな世界に魅了され「金」のために生きるように

副業で働いていたクラブは六本木でも一番人気のお店で特にVIPのお客が使う金額が桁違いだった。

数時間で僕の年収を軽く超えるお金を使うお客さんが何人もいるわけです。

 

チップで1万円をもらった時は

きょうた
苦労して稼ぐ1万円をこんな紙切れみたいにくれる人がいるなんて

となんだか悲しく、悔しい気持ちになったのを今でも覚えています。

僕が金持ちになりたくなったのはクラブで働いたのが大きいです。

 

人間というのはかんたんにできていて、一度お金を簡単に手にすると中々元の状態には戻れない。

僕はこの頃には夢であったはずの美容師になるのをやめて完全に「お金を稼ぐ」ために生きるようになっていた。

 

とにかく金・金・金!

僕は今までの貧乏を取り戻すかのごとく働きまくりました。

クラブは完全実力主義で仕事ができればその分給料が上がったので毎日全力で働いた。

 

クラブの給料は美容師の給料を余裕で超えていました。

しかし仕事のストレスがすごくて給料が入るたびになくなるまで使い果たした。

 

この時期の僕は完全に


きょうた
お金に取りつかれていた

 

独立するために

独立

クラブで働いて25歳になる時にふと考えた。


きょうた
僕はこのままお金のために一生働いて死ぬのだろうか・・・
きょうた
僕が美容師になったのもスーツを着て仕事がしたくないとか自由な生き方に憧れたからだよな・・・

 


きょうた
一度しかない人生なんだから自分で独立して仕事をしてみたい!

そんな思いが強くなり大好きだったクラブの仕事をやめることを決意。

がむしゃらだった僕は次の仕事も決めることなく仕事をやめた。

その時に考えていたのは

きょうた
これからはITの時代だからIT系の仕事だ!

ってことくらい。

 

奇跡的にIT企業へ就職

社長に最後の挨拶をするとなんと就職先を用意してくれていた。

しかも僕が希望していたIT企業。


きょうた
なんていい会社なんだ・・・

言葉も出ないとはまさにこのこと。

 

サラリーマンになっても起業したいことが見つからないで2年がすぎた

サラリーマンとして働いていてから本当にいろんなことを学ぶことができました。

サラリーマンとして働いて2年がすぎても僕は「何で起業したい」かがまったく決まっていませんでした。


きょうた
起業したいって言ったはいいけど何がしたいんだろう・・・

ただこのままサラリーマンをするつもりはなかったので少し焦っていました。

そんな時に知ったのが投資家という職業。

まぁ職業というかは微妙ですけど・・・

 

投資家になろうとした理由

「起業がしたい!」と考えてクラブをやめた僕ですがサラリーマンとして働いていていろんな社長にお会いした時に


きょうた
あ、俺は社長になりたいわけじゃなくて、投資家になりたかったんだ・・・

と気が付いたんですね。

僕は社長になって「社員のため」「社員の家族のため」に全力で働く自分の姿が想像出来なかったからです。

 

ミニマリストだし、トレードが好きだし、投資が好きだから「ミニマリスト×投資家」として生きることを決意しました。

ちなみにブログは自分で得た知識をアウトプットするのが好きなので書いています。

まとめ

今ではトレードの利益とミニマリストとFXをまとめたブログを書いて生活しています。

今はまだまだ始めたばかりですが、必ず成功するので応援よろしくお願いします!

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きょうた

きょうた

上京して美容師になるも2年で挫折。

ナイトクラブで4年働き独立の勉強のためサラリーマン。

FX投資とブログで念願の独立へ。

ミニマルFXとはミニマリストとして生きて支出を減らし、 少ないFX利益でも投資で生きていく新しい生き方です。

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