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僕らは「麦の呪い」のせいで毎日働いている説

更新日:

こんにちは!きょうたです。

突然ですがみなさんは「働くことは好きでしょうか?」

今回は「なぜ僕らは働かなければいけないのか?」ということについてのお話です。

 

少し都市伝説っぽい話なので最後まで冗談交じりで聞いてください。

 

働かなければいけないのはお金が必要だから

 

まず働くことの前提としてほとんどの人が「お金のため」に働いているわけですが。

では、なぜお金が必要かというと「ご飯を食べないと死んでしまう、家賃を払わないと雨風をしのぐ家に住めない、服を着ないと大衆の前に出られない」

ということがあるからですよね。

 

もしもの話ですが家賃が無料の快適な家が存在していて、

ご飯屋さんに行ったらタダでご飯を好きなだけ食べれて、

清潔な服を誰かがタダでくれる環境があるなら贅沢を一切しなければ働かなくてもいいわけです。

 

つまり僕らが働いてお金を稼ぐのはお金によって「衣・食・住」

を誰かから買わなければいけなくなったからです。

 

昔の人の労働時間は短かった

 

大昔人間はほとんどが遊牧民族でした。

主に木の実などを食べて生活していたので木の実がとれる森を見つけてそれらを食べていました。

たまには動物を捉えて食べていたこともあったかもしれません、

 

がほとんどは危険を犯すリスクがあるので木の実などを食べていたらしいです。

そしてその森に食べられる木の実がなくなるとまた移動して別の木の実がなっている森に移動します。

つまりその頃の人達にとって「働くということ=食べ物を探すこと」だったわけです。

 

その頃の人達の労働時間はとても短く僕らよりも幸せだった可能性があるといいます。

なぜなら「あ~今日は木の実見つかったから帰るから」といった具合に全てが成果報酬であり、

現在のような八時間労働などろいう規則はなかったからです。

 

木の実を食べる生活にはリスクが多いと考えた

 

上に書いたようにその頃の人達は労働時間も短く、

木の実がたくさんとれた時には働かない日もあったわけですが、

逆に言うと木の実が取れない日はご飯がないわけであり、

 

どれだけ森を探しても木の実がない場合は、

木の実が見つかるかわからない次の森を探して歩いて移動しなければいけないわけです。

現代のようにGoogleマップがあるわけでもなければコンビニもありません。

 

ましてや車もないので次の森を目指して歩いている時に猛獣に襲われる可能性もあります。

つまりその場しのぎで木の実を取って食べる生活はリスクが大きいと昔の人達は考えたわけですね。

 

頭のいい人が木の実を探さない生活を思いつく

 

約一万年前にある頭のいい人が思いつきます。

「ここに稲や麦を植えて育てて生えてきた稲を食べれば、わざわざ木の実を探さなくていいんじゃないのか?」と。

これは革命的な発明でした。

 

今までは100人の村人がいても木の実が50個しかなければ残りの50人は飢えて死んでいました。

しかし稲や麦をきちんと育てられれば人数に見合った数の食べ物が用意できるため、

頑張って木の実を探すことなく必要な分に応じて稲を植えて育てればよくなったからです。

 

稲や麦を植えたことが呪いの始まりだった

 

始めは革命的に思えた稲や麦の栽培ですが実はここに思わぬ欠点がありました。

それは「安定した稲や麦を育てるためには常に稲や麦を監視している必要がある」ということです。

昔はテレビの天気予報などもないため稲や麦がうまく育つかは常に天候に左右されます。

 

さらに害虫などが発生してしまうと一斉に枯れてしまう可能性があるります。

もしかしたら別の村人が稲や麦を盗みにくるかもしれません。

そうなると常に見張りが必要です。

 

稲や麦を見張るということは見張るための家が必要となるのでそこに定住するようになります。

ここで人間は狩猟民族から定住民族へと変わったわけです。

 

稲や麦のせいで労働というものが生まれる

 

稲や麦を育てる生活をするまでは人間には労働という概念は恐らくなかったことでしょう。

上に書いたように「木の実が取れたら」その日の労働は終わりだったからです。

しかし稲や麦を植えた時点から「労働」が生まれました。

 

土を耕し、稲や麦を植え、育ったものを乾燥させ、

一粒一粒食べられる状態にする大変な作業は一年中続きます。

さらに同じ場所で稲や麦が同じように育つ可能性は低いためさらに別の畑をどんどん耕します。

 

木の実を食べていた頃の労働時間は長くても一日4時間くらいだったかもしれませんが、

稲や麦を植えてからは寝る時間以外は常に働き続けなければならなくなりました。

もうブラック労働どころの話ではないわけです。

 

稲や麦のせいで病気というものが生まれる

 

稲や麦を育てるまでの狩猟民族の人間は移動しながら生活したので病気が慢性することは少なかったようです。

もしも病人がいても健康ではない場合は最悪その場に置いていくしかないからです。

しかし稲や麦を見張ることから始まった「定住」のせいで人間は病原菌から逃げられなくなります。

 

どれだけ村に病気が蔓延しても医療がない昔では呪いか何かのせいにするしかなく、

自分たちの食料である稲や麦を捨てて別の村に移住するという概念はないので、

村に病気が蔓延し大量に人が死ぬことまでありました。

 

麦の呪いは現代も続いている

 

現代の僕らはどうでしょうか?

僕らは農家の人達を除いて稲や麦を育ててはいません。

それでも僕らは毎日8時間働いています。

 

なぜでしょうか?

 

実は麦の呪いは現代も続いているからなんです。

どういうことかというと現代の僕らにとっての麦は「お金」です。

 

お金という麦を生んでくれる畑は「会社」になりました。

つまり稲や麦を育てなくても良くなった現代でも麦の呪いは続いているわけです。

現代は麦以外にもたくさんのモノを買うことができますが、

 

モノを買うにはお金が必要です。

お金を稼ぐには会社に行かないといけないため僕らは会社に通える場所に家を構えます

すると家がある場所からは離れることができなくなるためそこが地元となるわけです。

 

麦の呪いは現代でも続いていたわけです。

 

現代社会は昔よりも大変

 

現代の生活は以前よりももっと大変になりました。

稲や麦を育て始めた時代だったら「衣・食・住」を揃えればよかったのですが、

現代ではメディア洗脳のせいで生きていく上で必要だと思わされているものが増えました。

 

タピオカって生きていく上で必要ですかね?。。。

はい、

 

食べ物も日本食、中華、フレンチ、イタリアン等々ありとあらゆるご飯があります。

車も安い軽自動車でもいいのにフェラーリまで上を見たらきりがありません。

家も人間は座って半畳、寝て一畳のスペースがあれば生きていけるのに、

 

どんどん大きな家に家に住むようになりました。

そうです、麦の呪いは昔よりも酷くなっているわけです。

 

現代人は麦の奴隷になってしまった

 

現代人は完全に麦という名のお金の奴隷になってしまいました。

働いても働いていもお金が足りません。

それはお金を自分が必要以上に使うからです。

 

お金は麦と違って腐ることはないので蓄えておくことができます。

現代ではデータになっているためお札をしまう金庫も必要ありません。

なのに現代人は家、食べ物、車以外にもどんどん無駄なモノを買い続けます。

 

タピオカって生きていく上で必要ですかね?。。。

 

自分のお金が足りない場合はクレジットカードで借金をしてまで購入します。

するとまたお金がなくなり働らかなければいけません。

実は衣食住だけで事足りるならお金はそんなに必要なかったりします。

 

お金が必要分だけでいいならこんなに毎日、毎日八時間も働かなくてもいいかもしれません。

でも僕らは無駄なモノが必要だと思いこまされているため、

現代も、そしてこれからも麦を育て続けます。

 

あなたが麦の呪いから逃れられれるのはいつでしょうか?

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広島の4畳半の何もない部屋に住むミニマリスト。ブログ、Youtube活動をしています。ブログでは主にミニマルで便利なガジェット類や生活用品を紹介しています。

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