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プロフィール

【きょうた自己紹介】むいてないことをやめたら人生うまくいった話

こんにちは!きょうたです。

この記事を書いているのは2021年3月5日。

そう今日は僕がブログを再開した記念すべき日(になると思う)です。

 

実はというか誰も知らないと思いますが(過去の記事はほぼ消したので)

僕きょうたは昔はミニマリストブロガーとして活動していました。

活動と言ってもサラリーマンをしながらの副業ではあるのですが、

 

それなりにPVもあってお小遣い稼ぎくらいはできていました。

しかし紆余曲折あり(めんどくさくなっただけ)

YouTubeがあれよあれよと忙しくなりブログは完全に停止していました。

 

しかし本日からブログを再開することにしました。

それはなぜかというと僕自身YouTubeの収益が上がってきて時間ができたこと。

過去にブロガー界で有名だった人々がみんなYouTuberになってしまい。

 

今敢えてブログを始めるのがチャンスなんじゃないかと思ったからです。

ということでブログを再開するにあたって、

そもそも「お前誰だよ?」という人が99.99%だと思いますので、

 

誠に勝手ながら自己紹介をしようと思います。

 

目次

きょうたのプロフィール

 

  • 1990年生まれ11月30日O型30歳(記事執筆現在)
  • 広島県出身
  • 広島→アメリカ→広島→東京→広島(現在)
  • 旅行したことがある国アメリカ、フランス、イギリス、タイ、マカオ、ブラジル、ガイアナ、ベネズエラ

①生まれて間もなくアメリカへ、幼稚園はアメリカで過ごす(人生のピーク)

 

運がいいのか悪いのか僕が生まれた年にバブルは崩壊していました。

しかし父親が勤めていた会社はまだギリギリ景気が良く、

父親がアメリカに転勤するのに合わせてアメリカに家族で渡ることにしました。

(母はやたらと海外の文化が好きでスマホもない時代に一人でジャマイカに行く変わり者)

 

そして英語も喋れない状態でアメリカの幼稚園に僕は入ることになります。

今は英検4級レベルですが当時のビデオを見るともうペラペラです。(子供ってすごい)

僕が入った幼稚園が変わった幼稚園で「モンテソーリ教育」をしている幼稚園で、

 

僕は知らず知らずの内にモンテソーリ教育という今でこそ聞くようになりましたが、

当時は聞いたこともない変な教育を受けることになるわけです。

簡単にどんな教育かというと「自分の頭で考え、行動することが得意になる教育」です。

 

普通日本の幼稚園だと「さぁ今日は折り紙で像を折ります、みんな像を折ってください。」

という流れが普通です。

まぁこれが他人と自分を比べる日本の悪しき同調圧力洗脳教育の始まりなんですけど(笑)

 

しかしモンテソーリ教育は「今日自分でやりたいことを自分で決める」というもの。

僕が豆を皿から皿に移すことをしていたとして、

隣にいる別の子は絵を書いていたりします。

 

つまり同じ空間にはいるけれど皆やっていることは違うと言うことです。

しかも僕がいた幼稚園は僕のようなアジア人、中国人、韓国人、インド人など

多種多様な人種の子供がいましたし年齢もバラバラです。

 

僕の中にある年上、年下の年功序列が理解できない。

年上の教えは絶対に守れというわけのわからない文化が理解できないのは、

この時の影響が大きいのかもしれません。

 

ちなみに僕は超絶シャイボーイで家でレゴや、

○○レンジャーのロボットのおもちゃで一人で遊ぶのが大好きな子供でした。

 

②年長から日本に帰国、ここからが悲劇の始まり

年少、年中をアメリカで過ごした僕は年長のタイミングで日本に帰国。

当然友達もいないので幼稚園には馴染めず、

僕の中で幼稚園の記憶もなければ思い出も一切ありません。

 

そして小学校は家から近くの公立の小学校に通いました。

ここからが僕の人生の悲劇の始まりといっても過言ではない。

(僕の人生はアメリカがピークです)

 

世の中はバブルが崩壊して不景気ブーム真っただ中。

お先真っ暗な時代です。

小学校3年生の僕に有無を言わさず親は塾と家庭教師をつけました。

 

理由は単純で中学受験をさせるためです。(僕の意思は関係ない)

みんなが「笑う犬の冒険」「学校へ行こう」などのテレビ番組で盛り上がる中。

僕はそれらの話題に一切ついていくことができませんでした。

 

なぜなら19時になると親がテレビを消して、

二階の子供部屋で勉強するルールを作っていたからです。

 

みんなが人生で一番楽しいであろう小学生時代を、

僕は木曜日の休み以外を塾と家庭教師で終えることとなります。

父親からはお前は「修道中学校へ行くんだ、そうだろ」

 

と今でいうDVをされながら勉強をさせられていたのを覚えています。

ちなみに修道中学といのは広島県内で、

中学受験できる中学で上からの二番目の学校(当時)

 

しかし僕は嫌々勉強をさせられていたので、

親が見ていない塾や家庭教師でほとんど勉強をしていませんでした。

だから親は金はかけているのに成績は上がらない、なぜだ!となっていました。

 

当然のごとく僕は毎度怒られるわけですが、

いつからか何をしても父親に怒られるような気がして、

感情を消すという術をみにつけ怒られることが怖くなくなっていました。

 

この頃祖父母が僕が一切笑わない子供になったのを薄々感じ取り、

心配していたと後から聞かされました。

ちなみに中学受験はどうなったかというと、

 

何も勉強していなかったので広島で当時中学受験できる最底辺の学校へ入学しました。

 

③DVからの解放、自分の人生を自分で歩み始めた中学時代

 

運がいいことに父親が東京の会社からヘッドハンティングされることになり、

東京に単身赴任することが決まりました。

ここから僕の人生が大きく変わります。

 

独裁者だった父親がいなくなり全てから解放されたんです。

僕は学校の授業は一切効かなくなり大好きだったテニスに夢中になりました。

当時はたまたまテニスの王子様が連載したばかりで硬式テニスブーム。

 

僕がいたテニス部は中学でも私立でお金があったので硬式テニスができたわけです。

授業はとにかく適当にすごして放課後のテニスだけが僕の生きがいでした。

休みの日もテニス、テニス、来る日も来る日もとにかくテニスです。

 

好きなことがあると熱中して全てを忘れて一つのことだけやってしまうという、

ADHD傾向は思い返すとこの頃からあったんだと思います。

家に帰っても嫌いなウザい父親はいません。

 

僕は今までテレビを見れなかった分を取り戻すようにテレビの鬼になりました。

家に帰ったらとにかくご飯を食べるときもずっとテレビを見ていました。

母も初めの頃は色々注意していたらしいのですが(僕は覚えてない)

 

あまりにも言うことを聞かない子供だった為途中で諦めたそうです(笑)

 

④バンドにカラオケとにかく遊んで脱オタクをした高校時代

 

底辺ながらも中学受験をしたことによって僕の勉強しないレベルは加速します。

なぜなら中学受験をしたということは勉強しなくても高校に上がれるからです。

今でも覚えていますが中学三年の時の数学のテストは平気で3点とかでした。

 

もう授業についていけないからずっと寝る、寝てるからわからない。

テストの点数も超絶悪い、もはや先生たちも諦めているレベルでした。

そして学校の授業がつまらないからどうしたかというと、

 

バンドの明け暮れることになります。

テニスもあれだけ熱中していたのに、

一気にスランプで勝てなくなったことがきっかけで熱が冷めました。

 

たまたまよく遊ぶ友達の家にギターがあり「かっけぇ!」となり

正式な部活ではないのですがバンドを始めることになったわけです。

 

当時はアジアンカンフージェネレーションやエルレガーデンなど

インディーズバンドブームの真っただ中。

僕はバンドをしたりカラオケで遊んだりボーリングに行ったり、

とにかく遊ぶために生きていた学生時代でした。

 

楽器は始めた僕でしたがいざ人前に出るのは恥ずかしいシャイなままの人間でした。

そんな時高校一年生の文化祭で別のバンドの友達が、

ヴォーカルで出てほしいと依頼してきました。

 

何となくOKしたのですが実はそのバンドはヘビメタバンド(笑)

ヴォーカルがいない理由はみんなヘビメタを歌うのが恥ずかしいからでした。

そんなことは初めは知らず練習する時になり、

 

マキシマムザホルモンを歌うと聞かされたわけです。

でも引き受けたからにはやるしかないので、

ステージの上でマキシマムザホルモンを歌いました(笑)

 

人前で堂々とマキシマムザホルモンのデスボイスを歌うという行為。

これが僕の中で人生の転機となりました。

というのも人前で歌うなんてしたことがないシャイな僕の予想では、

 

みんなに嘲笑われるかと思っていました。

しかしバンドのメンバーからは手伝ってくれてありがとうと言われ、

観客からも拍手がありました(うまいという意味ではなくても)

 

僕はこの時に「人は案外人のことを見てないんだな」と知ることができました。

人間というのは強引にきっかけを与えられると案外簡単に変化できるもので、

このライブをきっかけに眼鏡をコンタクトにし、

 

髪を伸ばしワックスでツンツンにして襟足は長くしていました。

(当時は今でいうギャル男みたいな髪型がオシャレだった、ごくせんとか)

そして更なる衝撃的な出来事が起きました。

 

それは東京に単身赴任していた父親がリーマンショックの影響で仕事をクビになり、

給料が良かったから我慢していた母は離婚を決意。

 

年に数回広島に帰ってくるたびに成績が悪いことをしてきして、

そのたびにDVをしながら勉強を強制的教えていた苦痛からも解放されたんです。

こうなると僕の人生を止める邪魔な存在は誰もいません。

 

テニスに没頭したときのように今度はどれだけ自分をカッコよくお洒落に見せれるか。

当時はAmazonや楽天などない時代ですが、

田舎の広島でできる精一杯のオシャレを東京の雑誌を見ながら試行錯誤していました。

 

⑤進学校から美容専門学校~上京

 

オシャレや髪を触るのが好きだったこと、勉強が嫌いだったこと、

父親と同じスーツを着たサラリーマンになるのが嫌だったこと。

こららの理由から僕は美容師になることを決意して、

 

専門学校へ行くため上京しました。

なぜ東京だったかというと(はじめはアメリカに行きたかった)、

母子家庭になってしまったためアメリカのメイクの学校へ行くお金がないこと。

 

東京に一度も行ったことがなかったことなどを理由にしょうがなく上京しました。

しょうがなくとは言ったもの始めての東京はそれはもう都会すぎて驚きの連続。

当時はまだiPhone3Gも出ていない時代なので東京の情報はテレビか雑誌のみです。

 

高校時代に買いたかった服のショップが目の前にある感動は今でも覚えています。

僕が美容学生だった時代はまだまだ原宿ブームというのが存在していて、

それはオシャレなの?ただの変体では?

 

という格好をした人たちが原宿を堂々と歩いていました。

ちょうど現在歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさん、俳優の千葉雄大さんが、

まだ読者モデルだった頃です。(若い人は知らないと思うけど)

 

僕も全身スタッズ(トゲトゲ)の服を着て、髪は青くして、

とにかく原宿で目立とうと必死だったのを覚えています。

(後日談として東京で派手な格好して目立とうとしてる奴はだいたい田舎者です)

 

美容学生時代は高校の時に残りの出席日数を確認しながら、

半分不登校だったとは思えない真面目っぷり、

毎日朝4時半に起きて6時に家を出て調布から代々木の学校に7時に到着して、

 

みんなが登校してくる9時までひたすら練習をしていました。

もちろん授業も寝ることなくしっかりと受けて放課後も夜11時まで練習、

本当に美容というものが大好きだった。

 

たぶん後にも先にもこんなに熱中できることはそうそう現れないと思う。

(YouTubeなんて比べものにならない)

だからこそ別の記事で書くけど、好きなことは仕事にすべきではない。(人による)

 

現在は美容師ではない僕ですが完全に美容が嫌いになってしまった。(理由はあとで)

ヘアショーのリーダーを大きなステージでやらせてもらったり、

本当に充実した美容学生時代だったと自信を持って言えます。

 

そして僕は就活の過程でA〇〇〇Aという、

美容師なら誰もが知る超絶有名店に合格してしまいます。

担任にも「お前なんかが受かるわけがねぇ」

と念を押されていたのですが(担任とは仲が悪かった)

 

なぜか一次、二次と全国から応募がある超難関サロンに合格してしまいます。

(たぶんここで運つかいきった)

 

ここからが悲劇の始まりになるとは知らずに。。。

 

⑥手取り11万の超ブラックサロン生活が幕を開ける

 

いざ就職が決まって働いてい見ると、

美容師というキラキラ世界とは真逆の世界が待ち受けていました。

 

たしかに私服で働けて髪も染めれてピアスもOK、

おまけに女の子の扱いに慣れているのでモテる。

世間が思い描く美容師と同じような風景もありました。

 

しかし現実は超絶縦社会、パワハラは当たり前、超絶低賃金、長時間労働だったんです。

(噂によると今は離職率が高すぎて大分改善されたみたいですが)

僕の場合は一年目だったので定時が朝8時出勤(お店のオープンは11時半)、

 

帰りは夜中の0時上です。(お店は20時に閉まる)

なぜこんなにも長く働く必要があるのかというと「練習」があるから。

技術というのは寝ていて身につけれるものではなく自分で習得するもの、

 

しかも学問のように家で紙とペンがあればできるわけではなく、

ウィッグ(髪の生えた頭だけの人形)か人の頭が必要になります。

さらに一年目の仕事は先輩達の雑用を全てやらないといけません。

 

なので朝8時に出勤したらまずはお店の清掃や洗濯物の回収。

その後二年目の先輩が9時に出勤してきて練習を見てもらいます。

練習というのも先輩の話を聞くときは膝をついて話を聞くなど謎ルール多数。

 

その後に11時頃スタイリストが出勤してきてお店がオープンとなります。

お店が閉まった後もスタイリストは即変えるのですが、

一年目のアシスタントはまず店舗の清掃を行います。

 

その後先輩にお願いして練習を見てもらい。

それが終わってようやく0時にお店を出ることができます。

先輩が店にいる時は先輩が出るまで待たないといけない。

 

じゃあ営業前後の練習は美容師だから仕方ないとして営業はどうなのか?

その営業がまた地獄なんです。

当時はカリスマ美容師ブームがまだあった時代で土日となると、

 

朝の時点で手書きの予約表は200名の予約でビッシリ。(当時はポスレジなどはない)

一年目の僕はシャンプー台から一歩も出ることができず(次から次にお客さんが来るから)

トイレにも行けずご飯を食べる時間も当然ありません。

 

レッドブル一本で一日を過ごすなんてのはザラにありました。

さらに連続でシャンプーをし続けるため手はボロボロになり(ならない人が続く人)

手の指は裂けて血が出てくるのが日常です。

 

そこまで身を粉にして働いて当時の手取りがいくらだったのか?

手取りはたったの11万円です。

当時は自転車で通って交通費も給料に充てろといわれていたので、

 

ド級のブラック企業。

でも当時は美容師というのは僕が働いていた青山にはじまり、

代官山、表参道、原宿などどこの美容室でも同じ環境でした。(当時の同期に聞いたところ)

 

では遊んでいなかったのかというとそういうわけではなく、

寝る間を惜しんで遊んでいました。

しかしそんな生活が長く続くはずもなく僕は倒れてしまいます。

 

気がついたら病院で強制的にサロンは休むことになりました。

その時に何かが自分の中で切れてしまい「もう辞めよう」

と思い、退院したタイミングでサロンを飛ぶことにしました。

 

先輩方から鬼のように電話がかかってきていたのですが、

僕より先にも何人も同期が飛んでいたので電話には出ませんでした。

二週間くらいすると電話がかかってこなくなり、

 

退社を知らせる手紙がポストの中に入っていました。

 

⑦美容師を諦めきれず再挑戦もまたもや挫折

 

飛んだ美容室に唯一スタイリストで僕に優しくしてくれた女性がいました。

その女性が知り合いのサロンに転職するということで、

僕も一緒に働かないかと紹介してくれました。

 

仕事がなくて無職になるわけにもいかない僕は二つ返事でOKして就職を決意。

なんと前の飛んだ徒歩二分のところにあるサロンでした(笑)

新しく働いたサロンは芸能人御用達のサロンで名前は出せませんが、

 

ありとあらゆる芸能人の方を見ることができました。

しかし美容師なので給料が安いのは変わりません。

僕は生きるためにお金を稼ぐべく週末だけ寝ずに働くことを決意しました。

 

美容専門学校時代の一つしたの後輩がクラブで働いていたのを知っていたので、

電話して面接し、働かせてもらえることになりました。

美容師という仕事は副業が禁止で夜バレずに働けるのは、

ホストかクラブしかありませんでした。

 

ホストは酒を飲まされるイメージだったのでクラブで働くことにしました。

金夜、土夜はサロンを最後に閉めるかかりになり、

最後にお店を出て青山から六本木のクラブへ向かいます。

 

そのまま朝の6時まで働きまた青山へ戻ります。

ホテルフロラシオンというホテルが青山にあり、

そこのフロントに朝しのびこんで新聞を読むふりをして仮眠。

 

一時間ほど寝て先輩達が来る前にサロンを開け、

シャンプー台でシャンプーをしてそのままサロンで働きました。

 

⑧副業のクラブにのめり込んでしまう

 

二店舗目に働いたサロンは一店舗目ほど練習に厳しくなかったので、

副業のクラブと並行して何とかこなすことはできていました。

しかし手荒れがまたもや発症して美容師を続けるか悩んでいた時期でもあります。

 

副業で働いていたクラブは六本木のビル最上階にある高級クラブ。

有名人や大手企業の社長がくるようなところでした。

あるとき僕がクラブで働いていると「おい、このドンペリ一気飲みしたら一万円やるよ」

 

とお客のVIPに言われました。

手取り11万の僕からしたら喉から手が出るくらい欲しい大金です。

僕は宣言どおりドンペリを飲み干して一万円をゲットしました。

 

そのままトイレに直行したのは言うまでもありませんが、

そこでふと僕の中で美容師という仕事と、

一万円を簡単にもらえるクラブの仕事を天秤にかけました。

 

その時に美容師資格を生かせない仕事に就くと

高卒になる僕にできる仕事はもうないだろうと思いました。

それならばいっそのことクラブで働くのもありなんじゃないか?

と思い始めたのがこの頃です。

 

運命というのがあるのかどうかはわかりません。

僕が働いていたクラブが風営法違反で摘発されることになりました。

そこで僕は「あ~あ副業先がなくなるよ、、、どうしよう」

 

と思っていた矢先、幹部の方に新しくお店をやるから社員にならないか?

と言われました。基本給は美容師の倍はあり、インセンティブもある。

社会保険もあるこんないい条件はないと思いました。

 

僕はこの時完全に「美容師」をやめることを決意しました。

決意した理由としては23歳になるまで(同級生が大学を卒業して新卒で入社するまで)

にはスタイリストになるのが僕の目標でした。

 

僕は不器用だったこともあり到底スタイリストにすぐになれる見込みはない、

ならここで諦めてもいいのではないかと思ったんです。

 

⑨クラブの正社員として超多忙な時期をすごす

 

クラブの正社員になってからは本当に色んなことを経験しました。

クラブといっても大企業ではないので研修などあるはずもなく、

全てが実力社会です。

 

反対に行ってしまえば率先して手を上げればなんでもやらせてくれる環境ではありました。

この時の僕は必死です。好きだった美容師という夢がなくなった以上。

何がなんでも金を稼ぐと心に決意していました。

 

美容師の時はどれだけ働いても給料は変わりません。

しかしクラブの場合は働いた分インセンティブとなって成果が目に見えます。

内装工事の担当、ウエディング担当、芸能人のアテンドなど、

 

心の中ではできないと思いながらもまずはやってみました。

当時の睡眠時間は平均4時間で毎日立ちながら寝ていました。

その甲斐もあってか取締役の方に仕事を認められ、

 

社員になって始めてのボーナスで現金80万円を手にしました。

手取り11万円の男が始めて80万円という大金を手にした時の震えは今でも覚えています。

ちなみに80万円という大金は美容師時代に作ったリボ払いの借金で全て消し飛びました。

 

もしこの80万円がなければ今でもリボ払いの地獄から抜け出せていなかったかも。

 

⑩起業したいという欲がどんどん膨れ上がる

 

なんども書くように僕が勤めていたクラブは各業界の有名人が多くきていました。

そんな彼らに共通しているところが一つだけありました。

それが「お金を自分の力で稼いでいる」ということです。

 

僕はたしかに23歳にして80万円というボーナスをもらえたり、

給料も同い年と比べると高いほうでした。

しかし時給換算すると700円、まさに社畜とは僕のことです。

 

当時家賃10万円の家に住み、全身をブランド物で固めていました。

しかし何か腑に落ちない。しっくりこない。

それが自分の人生をコントロールされているという感覚でした。

 

高い給料をもらうと言うことはそれだけ従わないといけないと言うことです。

高い給料なりのパフォーマンスを出し続けなければいけない。

休みも自分で決めれないし、休みの日に出動要請がかかるのは当たり前でした。

 

そんなときに心の中で「起業したい」という欲がどんどん膨らんでいきました。

その時の僕は「お金持ち=社長=起業」という安易な考えしかなく。

今のぼくのように個人事業主という考え方は一切ありませんでした。

 

⑪何も考えずに会社をやめると決意、そこで奇跡が起こる

 

僕は一店舗目のサロンをやめたときのように思い立ったら即行動タイプです。

起業したいと思った時には社長に「会社やめたいです、起業するんで」と言っていました。

僕の性格を社長も理解してくれていたのでやめることは止められませんでした。

 

クラブの社長は雇われている社長で、社長の上にはいわゆる投資家がいるのが普通です。

もちろん社長が自分のお金だけで成功したラーメン屋パターンの社長もいますが、、、

というわけでお世話になった投資家さんの事務所に行き最後の挨拶をすることにしました。

 

僕「あの~大変言いずらいのですがお世話になったのですがこの度やめることになりまして、、、」

投資家「そうか、お疲れだったな、今後はどうすんだ?」

僕「起業したいと考えてまして、ITの分野で」

投資家「そうかお前はパソコンが得意なのか」

僕「いえ、、、全くできません」

投資家「じゃあなんでITなんだ?」

僕「いや、なんか最近だとITなのかなと思いまして、、、」

投資家「ったく、お前このまま起業したら100%失敗するから知り合いのIT企業に投資してる人紹介するからそこで働けよ」

僕「え?、、、いいんですか?」

投資家「うん、いいよ」

 

こうして僕は圧倒的なコネの力で中目黒にオフィスを構える、

大卒しかいないIT企業で働くことになったのでした。

 

⑫パワポも触れない高卒がIT企業に入るとどうなるのか?

 

運よく紹介でIT企業にはいった僕でしたが、

始めて入るホワイトカラーの仕事ということもあり、

あまりにも文化が違いすぎました。

 

僕の勝手なイメージでホワイトカラーの仕事はスーツをビシっと着ているだろうという予想で、

初日はスーツのセットアップにベスト、ネクタイ、カフスまでして気合いを入れて出社。

紹介されたIT企業の投資家さんに会ってみるとその人は私服で、

 

パンツはスウェットでサンダルという格好をしていました。

IT投資家「おまえ、何その格好?」

僕「いや、初日なんでちゃんとスーツを着た方がいいかと、、、」

 

いざオフィスを案内されて愕然としました。

オフィスカジュアルの人が少しだけいるくらいであとは全員私服でした。

僕だけ場違いな「夜の仕事感」まる出しでとても恥ずかしかったです。

 

美容学生というのは本当に「美容」に関することしか勉強しません。

パソコンの授業も一切ないわけです。

クラブ時代にワードやエクセルを少し触ったいことがあるレベルの僕は大変でした。

 

IT系というのは色々ありますが僕の会社は「ホームページを作る会社」

ある程度のhtmlやcssの知識やデザインの知識がいるわけです。

それなのに僕はパワポすら触ったことがない、

 

キーボードを打つのも一本指で打つレベル。

入社初日でやめたくなりました。

しかし業界で超有名な投資家さんの顔を潰すわけにもいかず、

やめるわけにも行きません。

 

そんな時に事件が起きたんです。

 

⑬順調に見えた道のりが突如として人生のどん底に

 

僕の中ではこのままITの技術を取得して、起業して将来は社長になれる!

みたいなことを考えて有頂天になっていました。

そんな時に事件が起こります。

 

当時僕は4年付き合っていた同棲している彼女がいました。

IT企業に転職したのはいいものの、

給料は当然世間一般のサラリーマンの給料に下がるので10万円の家賃が払えない状態でした。

 

始めは頭を下げて家賃を半分出してほいしとお願いして了承を得ていたのですが、

二ヶ月して彼女は出ていくと言い出しました。

別れたいのかと聞くとそうではなく、

 

彼女は西麻布のマンションに引っ越すとのことでした。

彼女に出ていかれたら家賃が払えなくなるので困るのですが、

当時彼女は銀座の高級クラブに勤めていたため僕よりも給料が高く、

 

彼女の反対を押し切って転職した僕には立場がありませんでした。

テレビやルンバなど高級家電は全て彼女にあげることにしました。

なぜなら僕は当時の所持金から引っ越せるのは極狭アパートが精一杯だったからです。

 

しかし人生悪いことというのは続くものなんですね。

実は同棲をスタートする時に彼女は三匹の猫を連れてきていました。

僕が住んでいたマンションは動物が禁止なので黙って飼っていたわけです。

 

引っ越しの報告を管理会社に連絡する時に猫を飼っていて、

床や壁に傷やシミがあると伝えました。

すると「では規約違反なので修繕費として20万円いただきます」

 

と言われてしまいます。

ここで僕の人生は詰んだも同然でした。

まず貯金を全額修繕費に充てました。

 

その時点で引っ越し資金はゼロになりました。

いわゆるホームレスです。

ここでたまたま左上に付けていたタグホイヤーの27万円の時計が目に入りました。

 

クラブ時代にマカオの社員旅行で自分へのご褒美にと一括で買ったものでした。

僕は背に腹は代えられないということで西新宿の質屋へ行きました。

なんと27万円の時計が箱付き、傷なし、保証書付きで9万円だったんです。

 

お店の人には一年半だからこの値段だけど、

あと半年遅かったら半額落ちていたと言われました。

この時僕はメディアとマーケティングに洗脳された馬鹿だったんだなと痛いほど通関しました。

 

なんとか9万円は準備しましたが9万円では都内で引っ越すのは不可能です。

そこで僕が友人から依頼されて、

間を取り持って作成してもらっていたホームページがありました。

 

本来であれば僕が15万円のうちの2万円をもらい、残りの13万円は、

僕の代わりに作ってくれた人に渡すはずでした。

 

しかし僕は「どうしてもお金が必要だから15万円全額俺にくれないか、

お金が出来たら必ず返すから」と頼み込んでお金を貸してもらいました。

しかし都内で引っ越すにはお金が少なすぎます。

 

そこで僕は「23区内 激安 アパート」と検索しました。

すると家賃が3万円のシェアハウスが出てきたんです。

 

⑭シェアハウスというホームレス時代がスタート

 

僕はこの際汚いとかなんとか言ってられないということで、

早速電話してシェアハウスを契約しました。

シェアハウスには家具家電は持ち込めないので全てレンタカーで処分。

 

僕は趣味がインテリアだったので間接照明だったりこだわりの部屋だったのですが、

全てを一夜にしてうしなうこととなりました。

これが僕が強制的にミニマリストになったきっかけです。

 

シェアハウスというとテラスハウスのような広いリビングで、

意識高い系がワイワイしているようなイメージを持つ人が多いと思いますが、

激安シェアハウスの現実は全く違います。

 

実際はワーキングプアや現実をいい歳して親からの仕送りをもらって働いていないような、

非正規雇用のたまり場でめちゃくちゃ悲惨な場所でした。

会社はオシャレな中目黒なのに家は二段ベッドだけが自分のスペースのシェアハウス。

 

この会社と家のギャップに相当病んでいたのを覚えています。

 

⑮住めば都、人間は適応する生き物だと知る

 

上には悲惨な状況と書きましたが人間というのはおもしろくて、

一か月も住んでしまえば意外と慣れるものです。

というかお金がないので慣れるしかなかったというのが正解ですが(笑)

 

はじめは「あれだけ苦労して集めたモノがなくなった人生終わりだ」とか思ってたのに、

気がついたらモノを持たないことの快適さに気づいていました。

さらにシェアハウスは会社のオフィスから徒歩2分という好立地。

(シェアハウスは住人で家賃を分割しているので好立地な場所に安く住めるのがポイント)

 

僕はたまたまシェアハウスに住むことになったわけですが、

おかげさまで通勤電車というストレスから解放されることができました。

10時出社の会社なのに家を出るのは9時50分。

 

お昼も家に帰って食べることができたので最高でした。

 

⑯住めば都も限度があるついにホームレス脱出

 

家から会社に徒歩で行けるというのは最高の条件だったのですが、

上に書いた通り激安シェアハウスはどうしても住人の質が悪い。

シェアハウスというのは男女のスペースというのは、

 

当たり前ですが分かれていて男女が一緒にいていいのは共有スペースだけです。

のはずなのですがやは大人の男女が一つ屋根の下にいたら色々あるわけで、

もう「出ていってくれよ」とキレそうになることが多々ありました。

 

とはいえ僕もお金がないのは事実なので自業自得です。

 

二段ベッドで僕の下に住んでいたT君という男がいて、

彼とは唯一気が合うというか仲が良かったので、

お互いに初期費用を出し合って引っ越しをすることにしました。

 

こうして僕は一年目半に渡るホームレス生活を終え、

ルームシェアという形ではあるのですが少し生活の質が戻ったわけです。

ちなみに付き合っていた彼女はどうなったのかというと、

 

僕はいずれ社長になるけどたぶん苦労するときのほうが多いと思ったんです。

そんな辛い時にお金がなくなったから出ていく、

けど別れたくないという都合のいい彼女は正直いらないと思いました。

 

だから僕の方から彼女の持ち物が全部引っ越し完了した時点で別れを告げました。

ちなみに文面で見ると金がなくなった僕が言いように言いくるめられて、

捨てられているように見れるかもしれませんが、

 

実際は目の前で泣き崩れられ別れたくないと相当ごねるられました。

なので彼女の思想としては彼氏としてはキープしておきたいけど、

金がないから支えるのは嫌です、一人で頑張ってと言うことだったんだろう。

 

何にしてもそんな人と一度しかない人生を共に過ごしたくない。

僕はそう思って別れました。

この時学んだのはお金があるときに作る、

 

顔や見た目で選んだ彼女はろくな人がいないってこと。

僕が言いたいのは顔がいい女性=ダメってことではない。

顔がいいけどお金があるときに付き合うというのが問題。

 

お金がないときでも支えてくれる顔がいい彼女がいたらそれはもう最高です。

でも現実問題顔がいい女性はモテるので、

特例を除き金持ちの男性が常に横にいるのが現実です。

 

そして金がなくなると彼女らは別の密を求めて新しい花を探しにいくわけです。

 

⑰IT企業で発覚したまさかの自分は発達障害(ADHD)

 

IT企業に勤めて二年経った頃事件は起きました。

というのも僕はどちらかというと自分で言うのもなんなのですが、

一度キレると手が付けられないというか引っ込みが効かなくなるタイプで、

 

クラブ時代も目の前にいちゃもんをつけてくる客や、

ヤクザがいても立ち向かうようなタイプでした。

格闘技はしていたけど喧嘩が強いわけでもないし身長も小さい、

 

だけど一度キレたら自分で自分が止められなくなる人間で、

あるときに僕が入社当時から嫌いだったら上司から、

「てめぇこの案件解約になったら2000万円の損失被れんのか?!あ!?」

 

とキレた電話が家にいる時にかかってきたわけです。

もちろんクレームを引いたのは僕が悪いのですが、

今まで二年間我慢していたものが全て爆発してしまい、

 

「あ!?上等だわ、じゃあ俺がもし解約になったら2000万被ってやるよ、

その代わりこれ以上グチグチt文句言うんじゃねぇぞ!」

って上司にブチギレしてしまったわけです。

 

クラブ時代だったら即効キレていた案件を、

投資家さんの紹介だからと我慢してきたものの、

もうどうにでもなれとキレてしまった。(僕が悪いのに)

 

そしてこの後日事件はさらに続きます。

それはAのお客さんの後にBのお客さんを訪問して、

直帰するというスケジュールを自分で組んでいたのですが、

 

まさかAのお客さんのところにいってそのまま帰宅してしまったんです。

しかもそれが金曜日だったため月曜日にBのお客さんから電話があり発覚。

それまでBのお客さんのことなんて頭の片隅にもありませんでした。

 

以前にやらかした2000万円問題に続き、客のスケジュールを忘れる。

昔からよく抜けているところがある。

天然と言われたり、変わっていると言われたことが多々ありました。

そして過去のことを思い返してみて、

もしかしたら周りがおかしいと思い込んで今まで生きてきたが、

自分の頭がおかしいんじゃないだろうか?

 

そう思うようになりました。

実は僕は発達障害という名前を聞いたこともなく、

僕はうつ病だと勝手に判断して三軒茶屋の心療内科に行ってみました。

 

すると下された診断は「完璧なる発達障害、ADHDですね」ということだった。

実はこの時頭を何かに打たれたようなショックがあったとかそんなことはなかった。

なぜならこの時すでに28歳、人生何もかもがうまく行かないのは薄々感じていたので、

 

発達障害という診断を下された時の僕の感情は「やっぱりね」が正しい。

 

思い返すと学生時代の頃から勉強ができなかったり。

友達の冗談がわからなくてノリやいじりを、

本当の悪口だととらえて言い返してしまい、いじめられたり。

 

そもそも早起きが苦手で半分不登校になったりと、

発達障害という兆候はいたるところで見られたんだと思います。

でも僕の場合は運がいいのか悪いのか、

 

発達障害という診断を受ける前から自分は社会不適合者という自覚があり、

だけら起業しようという考えになったところも実は大いにあった気がします。

僕は発達障害を会社に言うべきか迷ったのですが、

 

その時はあまりにその上司が嫌いだったので、

会社の別の上司に「上司をやめさすか、僕をクビにするか選んで下さい。」

というありえない究極の選択を突きつけました。

 

僕はクレームを引くことはあっても営業成績はよかったので、

会社には必要な人材なのは自覚していましたし、

その上司も必要な人材であることに変わりはありません。

 

結果僕は嫌いだった上司と社内で一切会話をしない、

部署も離すという条件で仕事をすることになりました。

 

⑱ついに起業のはずがなぜかYouTuberに!?

 

会社にコネで入るときに実はよくある「三年は続けろよ」

という条件を僕は提示されていました。

しかし二年半目がちょうど年末だったこともあり、

 

勝手に年末でキリがいいので会社辞めますねと会社に報告。

会社も僕が発達障害だとわかり少し腫れ物扱いだったし、

はじめからいつかやめる前提で入っていたのは知っていたので、

 

すんなりとやめることは許してくれました。

実はこのブログは僕がIT企業時代に立ち上げたブログで、

このブログのおかげでhtmlやcssの勉強を色々することができました。

 

今は削除したものの200記事は書き上げたと思います。

そんなこんなで簡単なプログラミングスキルや、

アフィリエイトスキルを身に着けた僕でしたが、

 

肝心の「何で起業するか」を決めていませんでした。

もちろんウェブディレクターとしてありとあらゆる中小企業の社長に会い、

起業とは何ぞやを色々と教わることができました。

 

しかし僕は二年半考えた末に何も考えが浮かばなかったのです。

なぜなら色んな社長を取材する上で社長になる人は

「誰かの役に立つサービスを世の中に広めたい人」がなるものだとわかったからです。

 

しかし僕は起業してお金は稼ぎたいけど世の中を変えたい気持ちはとくにありませんでした。

そんな時たまたまfacebookを見てみると、

僕の幼稚園からの幼馴染が「世界の果てまで行ってQ」のような、

 

アマゾンの奥地で大きな魚を釣っている写真たくさんアップしているのを発見しました。

僕の幼馴染はパソコンが弱くブログで活動はしていたのですが、

動画での活動はしていませんでした。

 

その点僕はパソコンができるけど別に人前に出たいわけではない。

じゃあ二人で組んでYouTubeをやれば最強なんじゃないかと思いました。

 

⑲旅系YouTuberが誕生、しかし!?

 

何度か連絡を取り合い意気投合してYouTuberをやることになりました。

当時はまだ芸能人はほとんど参戦しておらず、

ギリギリ勝算があるかないかの時代です。

 

なぜ僕がYouTubeに意欲的だったか?

それは時間と責任の面で自由が多いからです。

普通社長として起業したなら従業員の人生を背負うことになります。

 

従業員が毎日汗水たらして働いているのに、

会社に社長がこないで旅行ばかりしている会社はつぶれます。

さらに様々なことで責任問題が発生するため、

 

実は社長業というのは従業員よりもブラック労働なんです。

もちろんその対価として収入が高いわけですが。

僕はよくばりなのでお金は稼ぎたいけど自由な時間も欲しいと思ったわけです。

 

その点ではYouTubeとういうのはやってることがコンテンツなら、

これ以上に自由な仕事はないと思ったんです。(後術しますがそんな楽な仕事じゃない)

というわけでパソコン、カメラバッテリーなどを購入して準備は万端。

 

二人して南米大陸を目指しました、

まずはアメリカに降り立ちその後ブラジルへ。

アマゾン川を24時間のハンモック船を使い上ります。

 

そして釣りと撮影を終えると次はベネズエラという、

犯罪率が東京の200倍という国に入国。

またもやジャングルの奥地まで車で行き撮影。

 

そして最後はガイアナとういう国へ行き撮影。

正直体力的には大変だったけどはじめての発展途上国で楽しかった。

が、、、、

 

帰国して事件が起きました。

どんな事件かというとYouTuberコンビの解散です。

僕はYouTuberになると決めて幼馴染がいる地元広島に帰っていました。

 

そして一人暮らしをするため現在の四畳半の家を借り、

昼間は動画編集をして夜は夜中まで居酒屋の厨房でバイトをするという、

29歳にしては中々しんどい生活をしていました。

 

そこで事件が起きます。

というのも僕は人に指図されたくないからYouTuberになったわけです。

しかし実際Youtuberになってみると今度は相方が動画に対して、

 

ああでもない、こうでもないと注文を付けてきます。

お金で雇われているならまだしも僕らは対等な関係です。

僕は相方に対して撮影中注文は一切言いませんでした。

 

それは僕の中で相方は釣りと演者側。

僕は撮影と編集側とわからていると考えていたからです。

しかし相方は帰国してからは撮影がないので、

 

バイトはあれど暇な時間が増えます。

そんな時に僕がなんとか二日に一回、

寝る間も惜しんでアップした動画に対して注文をつけてくる。

 

僕はどうもこれが耐えられませんでした。

何度か編集に関して口出しをするなと忠告はしたのですが、

彼は注文をやめることをしなかったので僕は即刻解散しようと告げました。

 

まだチャンネル登録も1000人行っていない時だったので、

が一番いいだろうと思いました。

 

⑳Youtuberが諦めきれずにゲーム実況チャンネルを解説

 

僕がバイトをしていた居酒屋というのは僕の中学、高校からの唯一の親友がいて、

彼は大学卒業後もずっと広島にいたので交友関係が広い。

その彼とYoutuberを解散した話をしていた時に、

 

彼の友達と三人でゲーム実況をやらないかという話になりました。

僕がバイト代をはたいてゲーム実況にい必要な機材を購入。

すぐに彼の知り合いの家でゲーム実況をすることにしました。

 

しかしここでもうまくいかなかったんです。

初めの頃はよかったものの、

だんだんと僕の親友の友達が撮影に現れなくなりました。

 

初めは毎日だった撮影が、三日に一回になり、一週間に一回になり。

「こりゃだめだわ」と僕が判断して解散することにしました。

 

この時に僕が一番感じたことは本当に成功したいなら、

リスクを負わないと成功しないんだなということでした。

Yputuberの時に相方は顔出しのリスクを背負っているけど、

 

僕は裏方なわけなのでリスクは全く同じではないし、

成功したとしても取り分は半々です。

ゲーム実況に関しても誰もが顔を出さずに稼ぎたいと思っている

 

今考えると超絶レッドオーシャンのジャンルです。

本田翼さんのようによほど知名度がないと、

まず後発組で成功することはありません。

 

実は僕はクラブをやめるときに

「30歳までに成功するんで」と社長に約束していました。

現在29歳お金も旅とゲーム実況機材で底をつき広島にいるので東京のコネもない。

 

このままでは絶対にまずいと思いました。

 

⑳ついに顔出しをして自分がYoutuberになることに

 

もう年齢的にも30歳でスタートラインに立たないとまずい。

スマホ一つでお金をかけずに成功できるのは、

僕自身がYoutuberになるしかありませんでした。

 

そこで僕は当時持っていたSH-MO9というandroidを使い、

とにかく撮影しました。

僕は今まで二回のYoutuberの経験でわかったことがありました。

 

それはサムネで釣ろうが、字幕をつけて見やすくしようが、

効果音をつけてトップYouTuberのようにしようが、

つまらないYouTubeは誰にも見られないと言うことです。

 

逆に言うと僕が好きなスーツ背広チャンネルのように、

話が面白ければ字幕も効果音なんてなくても面白いと言うことです。

僕にはあとかがないのでとにかく数を多く投稿しました。

 

ミニマリスト系YouTuberとしてなんとか登録者が500人まではいったのですが、

そこからが全然伸びない。これはダメなのかと思った時に。

DJ社長が昔上げていた40分にも及ぶ長い動画を久しぶりに見ることにしました。

 

彼はただかっこいいDJをするだけでは絶対に知名度は上がらない。

だからふざけた動画をTwitterで上げ続けたといっていました。

では誰も僕のことを知らない無名の素人がどんな動画をあげているかというと、

 

ただ「ミニマリストです」という動画。

こんな動画誰が興味を示すんだと客観的に思えてしまいました。

そこで僕にとって恥ずかしいことは何だろうと考えました。

 

それが発達障害とういう診断を受けたと言うことでした。

さっそく恥を承知で自分が発達障害であるという動画を撮影。

これがバズりました。初めに5千再生を突破すると、

 

1万再生とどんどん再生数が伸びていきます。

そしてチャンネル登録者数もあっという間に1000人を突破して、

ついに広告を貼ることができました。

 

㉑まさかのチャンネル登録一万人突破~パチパチパチ

 

そして月日は流れ一年立たないタイミングで、

チャンネル登録者が一万人を超えました。

今でこそGoProHERO9で撮影しているのですが、

 

僕はチャンネル登録者が一万人になるまではどうしても、

スマホだけで撮影したいという願望がありました。

それはなぜかというと上に書いたコンビでYoutubeチャンネルをやった時に、

 

相方に「やっぱり機材いい奴じゃないからか」とか

「字幕と効果音とサムネこだわって」とか

根拠もないのに言われたのが本当に嫌だったからです。

 

僕がスマホ一つで効果音も字幕もサムネも力を入れず、

チャンネル登録者が一万人を超えたらそれはYouTubeで大事なのは、

編集技術ではなくコンテンツであるという照明になるからです。

 

とりあえず自分の人生を簡単に書いただけでも㉑項目になりました。

このプロフィールは随時更新していこうと思っていま。

ここまで何人の方が読んでくれてるからわかりませんが、

 

元々美容師だろうが、高卒だろうが、発達障害だろうが、

人生なんとかなるもんです。

もちろん全てが努力だけではなく運もあると思います。

 

でも運だけではないのが人生の面白いところではないでしょうか?

今はスマホ一つでなんでもできる時代です。

たぶん人類が生まれて一番贅沢な時代だと思います。

 

そんな時代に生まれておいて色んな言い訳をする人は、

たぶん火星に行ける時代になっても言い訳してるので、

もう来世に期待しましょう(笑)

 

日本においては全てを自分が選択しいます。

会社員でいるのも社長になるのもYoutuberになるのも自由です。

というわけで長い長いプロフィールにお付き合いいただきありがとうございました。

 

今後はともきょうたのブログ、YouTubeチャンネルをよろしくお願いいたします。

書くのに12時間かかっちゃった(笑)

YouTubeチャンネルもやってます

ミニマリスト系のYouTuberをやっています。
チャンネル登録、高評価していただけると嬉しいです。

 

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きょうた/ミニマリスト/ブロガー/Youtuber

東京に10年住んだ後、地元広島に戻ってYoutubeをメインに発信活動をしています。 Youtubeの動画では僕が抱えているADHD(注意欠陥多動性障害)という発達障害や、 僕自身が感じる生き方論などを個人的な主観で発信しています。

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