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ADHD・注意欠陥多動性障害

合法的社会不適合者の生き方

こんにちは、きょうたです。

最近社会不適合者という言葉をよく耳にするようになった気がする。

似たような言葉では有能、無能などだろうか。

 

思い返してみれば僕はずっと社会不適合者だった。

ここで「世間に完璧に適応できる人間なんていないよ」みたいな意見があるが、

今回はそういう結論がでない意見は聞き入れないことにする。

 

そもそも社会不適合者と適合者の違いとは何だろうか。

まずは適応者を定義してみよう

 

目次

社会不適合者とは?

社会不適合者とは簡単に言うと「大多数になれる才能」と定義できるのかもしれない。

学校で言えば遅刻せずに学校に行き宿題はきちんとする。

校則は守り、先生には嫌われない。

 

社会では言えば転職は3回程度で会社に遅刻せずに会社に行く。

上司や部下、お局さんともうまくやれる人のことだろう。

ちなみに今回定義している社会適合者の中には「好きでやってるんじゃないんだ」

という人が大多数いることだろう。「実際に日本人は自分の会社が大嫌いなのだ」

 

とまぁここまで難しいように説明してみたが、社会適合者とは「普通の人」のことだ。

ということは社会不適合者とはそれ以外の人々ということになる。

 

社会不適合者の定義はパターンがありすぎて無理である

社会不適合者の定義は社会適合者の反対になるわけだが、

そのパターンはあまりにも多様すぎて定義することができない。

なぜなら社会に立場があるとされている人(企業の社長や芸能人)

でさえもあり得ないような事件を起こしたりすることがあるからだ。

 

つまり彼らは何かコトが起きるまでは世間的には成功者であり、

社会適合者のような振る舞いをしていると(思われていた)だけで、

実際は社会不適合者がうまく(運よく)生きていただけになる。

 

僕はずっと社会不適合者だった

思い返してみれば僕はADHDという診断を大人になって受ける前からずっと社会不適合者だった。

学校では不良というわけではないがいつも「他人と違うことをする」ことを信念に生きていたし、

そもそも「普通」という生き方に憧れたことが一度もなかった。(それは今も同じだ)

 

だけど何度か「普通」という環境圧力によって「普通の人」になろうとしたこともある。

だがそれらは全くと言っていいほどうまくいかなかった。

理由は簡単で、ここでは簡単に説明することに留めるがだけにするが、

要するに人間は「身長、体重、心等々」を親から大部分を受け継ぐからなのだ。

つまり僕らは遺伝に支配されているということだ。

 

人間は自分を変えることができない

巷では未だに人間はゼロベースで生まれてくる(そうでないといけない)という政治的な正しさがある。

政治的に正しいことをPCとういうのだが、

実は政治的に正しいことは必ずしも科学的に正しいことと整合性があるものではない。

 

政治的正しさは「聞いていて心地がいい」ことが中心になることがほとんどだ。

だが令和になりコロナウイルスが蔓延して僕たち人間は気付き始めている。

「人間ってRPGのキャラクターみたいに変えられないよね?」ということに。

 

そう、人間は上記したように、

親からの遺伝をランダムに引き継ぐとういうカードの中でしか選択ができないのだ。

親が勇者で自分も勇者になれるなら文句はないだろうが、

親が村人Aで自分が村人Aだった場合本当に嬉しいだろうか。

 

だが、これからの世の中は一家に一台ドラえもんが現れるまでそれらを受け止めるしかないのだ。

なぜなら人間は自分を変えることができないから。

のび太君にはドラえもんがいたから主人公になれているが、

もしもドラえもんがいなければ社会の底辺なのは言うまでもない。

というか、だからこそドラえもんはアニメとして成り立っている。

 

もしもドラえもんの主人公が出木杉君ならドラえもんは家にいてもいいが別に必要ない。

 

合法的社会不適合者として生きる

ここでようやく僕が言いたいことが言えるようになる。

つまり社会不適合者として生まれたのではあれば、

社会不適合者として生きるしかないということになる。

 

もちろん「社会を変えればいいではないか」という意見もあるし僕もそれを望んでいる。

だが社会とは「社会太郎」という人間ではなく、日本であるなら日本国民全体になる。

全体と言っても選挙に行くのが当たり前で社会的に安定している人達に限るが。

 

つまり社会を変えることは他人を変えることになる。

自分が変えることができないのにどうして他人は変えられるのだろうか?

そう、変えられないのだ。

 

ならば社会不適合者のまま合法的に生きるのが楽な生き方なのではないだろうか。

合法的に生きるというのは「社会のルールに乗っ取って生きる」ということだ。

別に納税してるから偉いとか、生活保護ならダメとかそういうことではない。

 

だけど犯罪はダメだ、なぜならルールに反しているからだ。

 

最後に

ここまで来るのに随分と時間がかかった。

プライドはズタズタに壊れてどこかへ行ったし、

もう格好をつける必要もない。

 

まぁ人生の意味があるとしたらそういうことに自分で気が付けるかどうかなのかな?

とか思ったりする。(宗教に頼ったりせずに)

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