こんにちは!きょうたです。
「活動再開します!」こういうブログ記事や動画をよく見る気がする。
気持ちとしてはわかる。言いたい気持ち。宣言したい気持ち。
だがブログやyoutubeをやっている僕からしたらわかりきっていることがある。
「誰もお前のことなんて見てねぇよ」ってことだ。
「それはお前だけの話で俺には興味がある(はず)」と言いたいのもわかる。
まぁヒカキンさんやヒカルさんぐらいの重鎮だったらタイトルに釣られることはある。
しかし、どこぞの登録者1万人程度のYoutuberのことなんて「どうでもいい」が現実だ。
とくにブログに関してはアルゴリズムの関係で宣言したころで「誰も知らない」
検索キーワードにかからない芸能人以外のブログはただのオナニーである。
これが素人ブロガーが消えて行く理由であり、
何を隠そう僕もその一人だったのだ。
だが僕の場合は運がいいのか悪いのか収入はある。
そして「半FIRE」状態になって、わかったことがあるのだ。
今回はなにが活動再開なのか?半FIREして何がわかったのかを説明したい。
目次
活動再開の前に現在の自分の状況を簡単に説明
改めて僕はきょうた(本名)という名前で活動している。
youtubeの登録者数は約1万2千人で、ど底辺でもないけど、
もちろんトップYoutuberではない。(んなことはわかる)
年齢は1990年広島市生まれの31歳(今年32歳)独身である。
東京から地元広島に移住して3年が経ち一人暮らし。
活動形態は個人事業主できちんと税理士を付けて納税もしている。
仕事は下記に一覧にした
- 個人で友人としている情報関連の工事系の仕事(守秘義務で内容は言えない)
- youtubeの広告料
- アフィリエイト
- FXトレード
- ホームページの管理料、親戚の家業の手伝いバイト
2022年4月に偶然FIREと同じ状態を経験した
個人事業主は儲けるも自由、休むも自由であり、
仕事が突然打ち切られたとしても誰に泣きつくこともできない。
個人事業主の人は基本的には決まった休みがなく、
働ける限り働いたほうがいいのが普通である。
しかし、あらゆる偶然が重なり2022年4月に仕事が一切ない状況ができた。
収入がゼロなわけではないので、これはある意味ではFIREのような状態だ。
もちろんFIREとは「経済的独立」なのでこんなことを続けていたら、
一年も経たないうちにホームレスになる。
だが4月だけ切り取ってみたら特別節約する必要はなく、
収入はあるのだからこれが4月だけではなく一生続くのであれば
「FIREとはこういうものか」と想像がつくはずだ。
もちろん収入が青天井なら違うこともできるかもしれないが、
あいにくコロナの影響で海外に行くことは難しい(ワクチンを打っていないので)
こうなると食材を買う以外に外出する理由すらない。
ジムには定期的に行ってはいるがそれはあくまで健康維持のためで、
僕はボディビルダーになりたいわけではないので、
体脂肪率を一桁台にしようとまでは思わない。
映画を見て、本を読んで、一ヶ月ダラダラして過ごしてみた
僕は学歴が専門卒なこともあり専門を卒業をしてから働きまくっていた。
一度コネでホワイト企業に就職したことがあるが、
それ以外は基本ブラック企業でしか働いたことがなく、
おそらく人よりも多くの時間を労働に捧げてきた。
それも心の中では「学歴なんて関係あるか、労働から解放されて俺は自由になる」
というある意味で自分への誓いを心に掲げていたからだ。
実際その甲斐あってか同年代よりは少し収入が少ないくらいで、
時間を自由に選べる環境が整いつつあった。(アフィリエイトなどのおかげで)
とはいえ定期的に仕事に時間を奪われることは少なからずあったわけで、
完全なる1カ月の休みというのは専門学校の夏休み依頼だ。
ここで僕は「流行りのFIRE」ってどんな感じなのだろう?
と一ヶ月丸々何もしないダラダラする計画を立てた。
(上記したようにジムや買物は行っていた。)
自由な時間に起きて(ほぼ昼すぎ)本を読んだり、映画を見たりして、
好きな時間に寝るという生活を続けてみた。
あれだけ専門学校を卒業してから馬車馬のように働いていたわけだ、
初めの頃は「あ~これが俺が目指していた完全なる自由か~」
と少し感動すら覚えた。
人間はどんな環境にも適応してしまう賢い生き物
だがダラダラして二週間を過ぎたころにあることに気が付く。
自分にとって「ダラダラすることが普通」になっていたのだ。
どういうことかというと「歯を磨くこと」や「トイレに行くこと」
に感動する人はいないだろう。
自分にとってダラダラすることがそれくらい無意味なことになっていたのだ。
限界効用逓減(ていげん)の法則という言葉がある。
簡単に説明すると人間は同じ刺激を受け続けると慣れてしまうということだ。
真夏や仕事終わりに飲む一杯目のビールはうまいが、
二杯目、三杯目になると一杯目の感動は消えてなくなる。
贅沢な話ではあるが僕は「ダラダラすることに」慣れてしまったようだ。
金持ちが永遠に仕事を続ける簡単な理由
金持ちという定義は人によって異なるだろうが、
金持ち達に共通することがある。
それは「金持ちは生涯働いている」ということだ。
僕は金持ちではないが個人事業主ではある。
個人事業主も仕事内容が様々だが僕の場合は「パソコン一つでできる」
仕事がほとんどなので「嫌なやつとは仕事をしない」選択肢がある。
そういう意味では入る金額は違えど選択肢はお金持ちと同じともいえる。
僕はお金が入る状況で4月一ヶ月ダラダラしたことで気が付いたのは
「人間はどこまで行っても社会的な動物である」
という小学生でもわかりそうなことだった。
僕はコロナの自粛前からインドア派であり家の中にいても苦じゃない人間だ。
そんな僕でも一ヶ月ダラダラして気が付いたのは、
「誰の役にも立たない人間は生きてる意味がない」ということだ。
役にも立たないというのは「金を稼げないやつ」という意味じゃない。
人間は承認欲求の生き物なので電車で席を譲るだけでも幸せな気持ちになれる。
しかし僕が一ヶ月ダラダラ家の中で映画を見たり、
本を見たりしても誰からも「ありがとう」と言われることはない。
金持ちが有り余るお金があるのにも関わらず働いているのはおそらく
(僕がお金持ちではないので)
「世の中のためにたって承認されたい」という気持ちが強いからだろう。
ちなみに人間は自分のためにお金を使うよりも、
人のためにお金を使う方が幸福度が高いことが証明されている。
本当に悟りを開いたら僕らがその人を知るすべはない
youtubeやブログをみると「悟りを開く修行をした和尚」が登場するし、
スピリチュアルな「私は全てを知っています」という人も見る。
しかし個人的な感想になるが「お前ら承認欲求の虜じゃん」と思ってしまう。
本当に悟りを開くということは承認欲求すらも捨てている状態なのだから、
講演会をすることもなければ、本を書くこともない、
ましてやyoutubeで動画を上げることもあるはずがない。
だから本当の意味では悟りを開いている人は山奥にはいても、
ネット上にいるわけがないのである。
(山奥の修行僧を隠し撮りでもしたら違うかもしれないが)
FIREを目指すのはとてもいいことだが達成しても結果は見えている
なぜ世界中で多くの人々がFIREに憧れるのか?
それは言わなくてもわかることだが多くの人は
「選択権のない世界」で生きており、
ほとんどの悩みは人間関係から発生するからだ。
FIREを達成して労働から解放されたのに、
「FIREを達成した方法」という内容で本を書いたり
(本を書くには出版社や編集者と必ず打ち合わせをする必要がある)
「FIRE」をした内容で講演会を開くのは「人間は社会的な生き物だから」だ。
だがFIREを目指す姿勢は悪いどころかいいことばかりだ。
支出を減らしてミニマリストになり資産運用の知識を高める。
これは金融というものがこの世から無くならない限り一生使える知識だからだ。
FIREは人生100年時代に全く合わない
FIREを多くの人が語るのは「定年」という概念があるからだ。
定年が64歳で死ぬのが80歳前後なら資産は約20年分でいいのだから、
FIREするのも簡単だ(資産が少なくていいから)
しかし定年してから40年も生きるとなるとそこまで資産を貯めるのは不可能に近い。
逆に既に充分な資産がある人は「FIREしたい」なんて思わない。
「FIRE」したいと思うのはあくまで自由がない人間だけだからだ。
悪いのは労働ではなく不要な人間関係
ここまで読んでいただいた方はわかるとおり、
悪いのは労働ではなく選択肢のない環境で生じる「不要な人間関係」だ。
僕のように仕事を選べる人からしたら、
仕事と言うのは人間とかかわり失敗をしない限り「ありがとう」
と言われる素晴らしい行為だ。
それならば目指すべき道は一つに定まってしまう。
そう「好きなことで働き不要な人間を排除できる状況を作る」
これに限るのである。
ちなみに自由に生きるための方程式は以下の動画で公開している。
活動再開の本当の意味は「やることは一個しかない」とわかったから
ブログの冒頭で書いた通り僕の活動再会宣言は意味がない。
活動再開と言うのは「カレーうまかった」と呟いてお金がもらえる人がやることだ。
しかし敢えて活動再開宣言をしたのには意味がある。
上記したことの焼き増しになるが「人間は暇すぎると死ぬ」ということだ。
もちろん世の中には生活保護で幸せな人もいるだろう。
しかし一人暮らしをして生活保護を選べる人がニートを選ぶ理由は簡単だ。
「心のどこかで社会的な繋がりを求めているから」だ。
文句を言われてもでも親と一緒にいたいと願っているのだ。
なぜなら僕がそうだが通常の人間と生活リズムが合わない人は孤独になる。
だが、親は裏切らない。(たぶん)
これがニートが親元を離れない大きな理由であり、
暇でノンストレスのニートが2チャンネルや、
youtubeのコメント欄でバトルしているのは社会的な繋がりが欲しいからだ。
そうなると選択肢は二択だろう。
一つはニートか生活保護になり親とネット上を社会的な繋がりとすること。
もう一つは好きなことを仕事にして死ぬまで仕事をすることだ。
僕は一か月でダラダラする生活に飽きてしまったので、
ニートや生活保護は向いてないだろう。
だから活動再開宣言をして働くのだ。